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テラテックなひとびと | ::活動報告(3/23~3/25旭市飯岡)

テラテックなひとびと

テラ=地球(terra)、テック=技術(technology)。 地球の神秘を探る探求者・・のつもりで日々精進中です(*^_^*)。 テラテックの代表の宮崎が、仕事や活動や言いたいことなどを、不定期で発信していきます。 有限会社テラテック http://www.terra-tech.jp
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活動報告(3/23~3/25旭市飯岡)

津波で被災された個人商店内の片付け(家財や土砂の搬出)の手伝いをしました。

被災直後の状況は、以下のページもご覧になってください。

旭市HP
http://www.city.asahi.lg.jp/section/soumu/bousai_001.html#001

旭市HPや下記記事によると、13人の方が亡くなられ、2人の方が行方不明とのこと。ご冥福をお祈りします。また、同HP内の3段目中央のガソリンスタンドに入ったところ、行方不明の方はいずれもその店主さんのお知り合いだと聞きました。空々しく感じつつも「がんばってください。」と申し上げるしか、ありませんでした。

ガソリンが足りずに車では行けそうになかったので、総武線がやっと動くようになったのを見計らって、初日は電車とバスにて、しかも、身支度とスコップと米袋とをカートで引っ張った大荷物で行ってきました。

当時、震災後10日以上経過し、さすがに主要な道路の土砂は撤去されていて、自動車も普通に通れるようになっていました。しかも、周辺のガソリンスタンドは、行列なく普通に営業していて、前日に市川でガソリンが入れられなかった身としては、ビックリしたものです。

そのため、3日目には自動車で行って、前述の、町中のガソリンスタンドで久しぶりの満タン給油をしました。地元被災者の方のガソリンを買い占める?厚かましさと、地元経済への貢献の、両天秤に悩みましたが、ボランティアが大挙して押し寄せる位置関係ではないことと、見た目は普通の経済活動に向かいつつあるようだったので、後者を選びました。

sP3236433.jpg

1枚だけ、お宅の中の写真を貼ることを、お許しください。
目の高さ、つまり約180cmの高さに、津波の痕跡の線が見えます。

こちらの住人のご夫婦の話では、第一波は膝くらいだったので非難せずに片付けなどをしていたら、第二波がどっとこの高さまで押し寄せて来たそうです。お二人で鴨居の柱にしがみつき、危うく流されずに済んだとのこと。その生々しさに寒気を覚えました。

こちらでは、第一波よりも、第二波、第三波の方が高かったようです。そのために人的被害も多かった(たとえば戻ってしまって被災した方もいた)ようで、とても残念なことです。


(3月30日(水)10時47分配信 読売新聞の記事を引用)

 東日本巨大地震で、千葉県旭市では沖の遠浅の海底地形が津波を大きくし、762棟が全半壊、13人が死亡、2人が行方不明と甚大な被害をもたらしたことが、東大地震研究所の都司(つじ)嘉宣准教授の調査でわかった。

 都司准教授によると、津波の速度は深いほど速いが、遠浅の地形にぶつかると、そのエネルギーが増大する。その結果、目の前に遠浅の海底が広がる旭市の被害が大きくなり、沿岸の海底が遠浅でない西隣の銚子市(全半壊が26棟、死者なし)と、被害に大きな差が出たとしている。

 調査では、特に旭市飯岡地区の被害が大きく、矢指川入り口の砂丘には高さ7・6メートルまで津波が到達した痕跡も見つかったという。

 同地区では1960年と2010年のチリ地震で、3・7メートル、1・5メートルの津波を記録している。

(引用終わり)

今回お邪魔したお宅は、地図によると標高約4mです。そこに180cm高くらいの津波が来たということから考えると、上記記事の数字はおおむね納得できる数字です。

この地域で幸い(と言ったら不謹慎ですが)だったのは、上記のような高い津波がごく局所的であったこと、九十九里浜沿いに海岸砂堤が形成されていて、また、その背面も極端にゼロメートル地帯ではなかったことで、被災範囲が、平面的にも海岸奥行き方向にも比較的狭い範囲であったことですね。

多少、専門的は話をすると、この九十九里浜沿いに平地には、海岸線と並行して、10数列の砂堤が認められます。さらに特筆すべきは、これらが河川の土砂供給によるものではなく、ほとんどが海の沿岸流による漂砂の付加作用により形成されていることです。

地形学的には正しい表現ではないですが、ごく大雑把に言えば、近年は隆起する傾向にある平地ということです。それに比して、宮城・岩手沿岸は、沈降して形成されたリアス式海岸の湾内を埋積するように形成された低平な平地であることが、被災を大きくした地形要因でもあります (当然、震源に近いことで津波高が大きかったことの方が支配的にせよ)

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ある川の河口そばの河川護岸と、その近所の風景です。周辺の他のいくつかの河口で、川沿いに奥深くまで津波が入った痕跡と、その引き波?で護岸が損傷している状況が目に付きました。東北地方の津波の特徴と、規模が小さいだけで、まさに同じです。

寄付物品(旭市災害ボランティアセンターへ):米袋30袋。ガラ入れ用です。当時、ボランティアセンターが募集していたので群馬自宅の近所の農家に譲ってもらって、持参しました。当初は車ではなかったので、電車で運べるだけの量としました。

とりあえず以上です。
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